2014年07月31日

危険ドラッグ汚染の裏で見え隠れする中国の影

  今日は朝日新聞から以下のコラムを抜粋して紹介します。
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  東京都練馬区の閑静な住宅街。危険ドラッグ(脱法ドラッグ)を製造販売する合同会社「エスエスシー」(SSC)の工場は、真新しい戸建て住宅が立ち並ぶ一角にあった。出入りするのは、SSC代表の男ら、20〜40代の社員の男数人。大きなたらいで白い粉末を水に溶かし、できた液体を作業台の上の茶葉など植物片に霧吹きで吹きつけ、手でもみ込む。扇風機で乾かした植物片は、別の場所でアルバイトの女性たちが小袋に詰める。

  粉末の仕入れ先は中国青島の化学メーカー。粉末を送る際も日本の税関の検査を逃れるため、メーカーがみずから荷物を20キロ程度に小分けして個人あてを装っていたという。工場は今はもう無い。危険ドラッグの製造で使っていた化学物質の一部が麻薬に指定された違法薬物で、昨年11月、警視庁に麻薬取締法違反の疑いで摘発されたからだ。代表の男は「国内シェアの7割を製造し、月1億円を稼いでいた」と説明したという。

  SSCは自社のホームページで商品を派手に宣伝。営業担当も店を回り、販路を拡大した。ネットで注文を受け、着払いで発送。販売先は東京、山形、愛知、大阪、福岡など少なくとも全国8都府県の約30店舗に広がった。

  「楽をして金もうけをしようと思った者たちが危険ドラッグに群がっている」。警視庁幹部は指摘する。全国の警察と厚生局がこれまでに摘発した製造工場はこの事件を含めてわずか4件。4件の裏で見え隠れするのは中国の影だ。

  九州厚生局などが今年6月に那覇市で摘発した事件も、東海北陸厚生局が今月、石川県で摘発した事件も違法な薬物は中国から密輸していた。埼玉県警が東京都江戸川区の製造工場を昨年2月に摘発すると、中国語でラベルが書かれた化学物質が見つかった。

  危険ドラッグの捜査のハードルは高い。規制物質を含む違法な薬物を販売したり所持したりする当事者に違法という認識があったことを立証しなければならないからだ。覚醒剤や大麻と違って規制物質の有無がすぐにわかる検査キットがなく、現行犯逮捕もできない。そして、国境という壁。

  SSC事件で警視庁は、中国の化学メーカーについて現地の警察当局に協力を求めているが、実態解明につながるような情報は寄せられていない。捜査幹部は言う。「原料さえあれば、大がかりな組織や機材なしでできる。表面化しづらく、摘発は容易ではない」

  全国に250余りあるとされる店先から危険ドラッグが消えたことは無く、今も乱用者による事件や事故が後を絶たない。
posted by toyoharu at 21:44 | 埼玉 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月30日

武器輸出、破談に中国の影 トルコとの幻の1号案件

  今日は日経から以下のコラムを抜粋して紹介します。
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  厳しい審査を通れば武器を輸出できるようにする「防衛装備移転三原則」ができて3カ月あまり。政府は初の事案として、ミサイル部品の対米輸出などを認めた。実は、幻に終わった1号案件がある。トルコ向けの戦車用エンジンだ。なぜ実現しなかったのか。

  政府は17日、国家安全保障会議(NSC)の閣僚会合を開いた。民間から申請のあった武器技術の輸出や共同研究について、三原則に照らして問題がないかどうかを審査するためだ。承認した案件は2つある。三菱重工による地対空ミサイル「パトリオット(PAC2)」の米国向け部品輸出と、ミサイルの技術に関する防衛省、三菱電機と英企業の共同研究だ。

  もっとも、ある政府関係者は「うまくいっていれば、1号案件はもう1つ増えていたはずだ」と打ち明ける。今年初めに「破談」となったトルコとの一件である。

  「三菱重工が持つエンジンの技術を、わが国でつくる戦車に使わせてもらえないか」。トルコのエルドアン首相が安倍首相にこう持ちかけたのは、昨年5月の首脳会談でだった。トルコは戦車の国産化を進めている。エルドアン首相の提案は三菱重工とトルコの企業が合弁会社をつくり、トルコの次期主力戦車「アルタイ」のエンジンを生産するというものだった。

  しかし、思わぬ壁が立ちはだかる。トルコが「イスラム諸国に戦車を売りたい」と言い出したのだ。パキスタンやアゼルバイジャンといった紛争国を含んでおり、日本がのめる条件ではない。

  トルコ側は日本が求めた第三国に輸出する際の事前同意を受け入れようとしなかった。2月、双方は協議の停止で合意する。「しょうがないな」。安倍首相は周囲にこうつぶやいたという。日本側の交渉関係者は「トルコが安全保障面で中国に近づくそぶりを見せたことも、日本側は問題視した」と話す。

  イランのミサイルを脅威とみるトルコは、昨年9月に中国精密機械輸出入総公司と防空システムの導入をめぐって協議に入ると発表した。驚いたのはNATO(北大西洋条約機構)だ。加盟国の防空システムをつないでロシアに対抗しようとしていただけに、NATOに加盟しているトルコが中国製の採用に動き始めたのは寝耳に水だった。放っておけば、NATOの防空システムに関する機密が中国に漏れかねない。

  同じ心配が日本にもあった。トルコと中国が近づけば近づくほど、トルコに供与した技術が中国に流出するおそれは高まる。日本政府の関係者は「『中国要因』がトルコと破談になった理由の1つだった」と認める。

  新三原則に基づく1号案件の相手国が「日本の技術を確実に管理してくれる」(防衛省幹部)米英両国だったことは象徴的だ。それは、新興国に武器を輸出することの難しさの裏返しでもある。
posted by toyoharu at 22:09 | 埼玉 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月29日

関電、歴代首相7人に献金 元副社長が証言

  今日は朝日新聞から以下のコラムを抜粋して紹介します。
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  関西電力で政界工作を長年担った内藤千百里(ちもり)元副社長(91)が朝日新聞の取材に応じ、少なくとも1972年〜18年間、在任中の歴代首相7人に「盆暮れに1千万円ずつ献金してきた」と証言した。政界全体に配った資金は年間数億円に上ったという。原発政策の推進や電力会社の発展が目的で、「原資はすべて電気料金だった」と語った。多額の電力マネーを政権中枢に流し込んできた歴史を当事者が実名で明らかにした。

  内藤氏が献金したと証言した7人は、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘、竹下登の各元首相(中曽根氏以外は故人)。

  内藤氏は47年に京大経済学部を卒業し、関電前身の関西配電に入社。62年に芦原義重社長(故人)の秘書になり、政財界とのパイプ役を約30年間務めた。関電の原発依存度は震災前は5割を超え業界でも高く、原発導入を円滑に進めるには政界工作が重要だったという。

  内藤氏は2013年12月〜今年7月にかけて69時間の取材に応じ、11年3月の東電福島第一原発の事故について「政府の対応はけしからん」「長年築いてきた政官電力の関係に問題があった」と指摘した上、多額の政治献金を電気料金で賄ってきた関電の歴史を詳細に語った。

  さらに「関電には芦原さんが直接、総理大臣や党の実力者に配る資金があった。トップシークレットだった」と証言。首相や自民党有力者らに毎年2回、盆暮れのあいさつと称して各200万〜1千万円の現金を運ぶ慣行があったと明かし、授受の様子や政治家の反応を細かく語った。

  当時は政治家個人への企業献金は法律で禁止されていないが、電力各社は74年、「政治献金分まで電気料金を支払いたくない」という世論を受けて企業献金の廃止を宣言。内藤氏は当時の業界は「そんなことを出来る訳がない。政治家を敵に回したら何も動かない」という雰囲気だったとし、その後も政治献金を水面下で続けたと証言した。

  献金の理由は「一に電力の安泰。二に国家の繁栄」とし、「天下国家のために渡すカネで、具体的な目的があった訳ではない。許認可権を握られている電力会社にとって権力に対する1つの立ち居振る舞いだった。漢方薬のように時間をかけて効果が出ることを期待していた」と強調した。

  関電広報室は「承知していない」と取材に答えた。内藤氏が献金したと証言した7人の元首相側は取材に対し、「そのような事実はないと思う」「わからない」などと答えた。

《歴史の関係者から話を聞き取る「オーラルヒストリー」第一人者の御厨貴東大客員教授の話》電力を独占供給する巨大公益企業の政界工作を中枢の元役員が明かした衝撃の告白だ。これほど痛烈な自己批判は過去にない。歴史をこの国に記録として残そうとする勇気ある行為だ。
posted by toyoharu at 23:06 | 埼玉 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月28日

硫黄島の戦闘についての一兵士の証言

  今日は毎日新聞から以下のコラムを紹介します。
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  太平洋戦争末期の激戦地硫黄島で生き残った、数少ない元日本兵のうちの一人の体験談を基にした書籍が30日、刊行される。千葉県南房総市の児童文学作家、かわな静さん(77)が、同市在住の山口周一さん(95)から聞いた話を小説化した。

  「硫黄島の戦闘について一兵士の証言はほとんどなく、山口さんの話は貴重」(かわなさん)。これまで口を閉ざしてきた山口さんも、8月に市民団体主催の講演会で69年前の過酷な体験を初めて披露する。

  山口さんは1944年6月、2度目の応召で硫黄島に送られた。本土防衛の要として、島には陸海軍計約2万
人が投入された。約8カ月間、来る日も来る日も地下壕の掘削作業を続けた。重労働に加え、水も食料も不足していた。

  45年2月19日に米軍が上陸作戦を開始。既に疲労と飢えで山口さんらに戦う余力は残っておらず、壕の中で砲撃に耐えるしかなかった。兵には自決用の手投げ弾が配られた。敵に撃たれるか、自決するか、餓死するか。選択肢は限られていた。

  同3月13日。山口さんは仲間8人分の水筒を抱え、水を求めて夜の海に出たところ米兵に見つかり、捕らえられた。「生きて虜囚の辱めを受けず」という日本軍の「おきて」は知っていたが、動けないほど飢え、渇いていた。その4日後、日本軍はほぼ最後となる総攻撃を始め、ほとんどが戦死した。

  捕虜になった山口さんは米国本土で終戦を迎え、47年に送還された。故郷の千葉県旧千倉町(現南房総市)にたどり着いたが、誰も迎えに来なかった。45年3月17日付の戦死公報が両親に届けられており、墓も建てられていた。両親と再会し、涙を流した。

  かわなさんが地元の老人介護施設に勤める友人を介して、山口さんと知り合ったのは昨年春。施設で硫黄島の戦闘を題材にした映画が話題になったところ、「そんなきれい事で語れるようなものじゃなかった」と口にした高齢者がいたと友人に聞かされ、引き付けられた。

  かわなさんは山口さんの元に何度も通って話を聞き、約1年かけて山口さんが「ひ孫」に体験を語るという形で小説「ひいじいちゃんは硫黄島の兵隊だった」(精文社刊、税抜き700円)にまとめた。30日から南房総市や館山市の書店で約600部が並ぶ予定だ。

  かわなさんの「発掘」で、それまで家族にも話したことはなかったという山口さんは初めて、語り部になることを決めた。8月23日午後1時半、千葉県鋸南町の中央公民館で講演会に臨む。山口さんは、集団的自衛権をはじめとする最近の政治にも不安を感じるといい、「戦争がどんなものか知らない政治家たちがいろいろ決めようとしているが、戦争はやったらダメ。命令を出す方はいいが、兵隊は大変だって」と言い切った。
posted by toyoharu at 21:03 | 埼玉 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月27日

女性が「輝く」はずの安倍政権の下で

  今日は朝日新聞から以下のコラムを抜粋して紹介します。
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  3月、ネットで見つけたベビーシッターに預けた、横浜市の山田龍琥(りく)くん(当時2)が遺体で見つかるという痛ましい事件が起きた。母親(22)は取材に「助けてあげられなかった。ごめんねってしか、言えないです」と語った。一人で龍琥君と1歳の次男を育ててきた母親にとって、生活は楽ではなかった。親元で暮らしていたが、父は病気を患い、生活保護を受けている。親にこれ以上頼るのも難しい状況だった。

  事件発覚当時、一部のネット利用者がブログなどに書き込んだのは「母親の責任」だった。杉並区の田中区議は「ベビーシッター事件に思う」と題して、ブログに「大切な子宝を乳飲み子のうちから赤の他人に預けてはばからない風潮は、なぜ当然のようにまかり通っているのでしょうか。」と記した。新党大地代表の鈴木宗男元衆院議員も当時「親として無責任な面があったのでは」とブログで問うた。

  週刊誌には母親を中傷する記事も出た。悲嘆に暮れていた母親は二重に傷ついた。ひとたびシングルマザーになれば、男性という「稼ぎ手」不在のまま、多くは低賃金労働で家計を支えながら、子育ての責任を一身に背負う。それがシングルマザーの家庭を追い詰めている。

  龍琥くんを失った母親は、幼い2人の育児のため、昨夏からの飲食店勤務を週2回に抑えていた。月の収入は5万円ほど。生活費を出すと手元には残らず、貯金はほぼなかった。

  3月14日は元々、幼い2人を連れ、ママ友数人とディズニーランドに遊びに行く計画を立てていた。だが、友人の子どもが熱を出し、前日に中止したのだと、友人の1人は明かす。急に予定が空いた母親は、勤め先に願い出て働くことにした。午後8時〜翌日午前2時頃までの勤務。病気の実父に子守はお願いしづらかった。頼ったのが、ネットのベビーシッター紹介サイトだった。

 あのベビーシッターには、昨年、1度預けたことがあった。帰ってきた子どもの背中にはあざがあり、問いただしたが説明が不自然だった。二度と預けないと決めていた。きちんとした女性シッターを探そうと、スマホでネット上のサイトに書き込みを始めた。

 「ヤマモト」と名乗るシッターが連絡してきた。「今子どもが入院しているの」と女性の口調で、絵文字も使ってきた。母親は、子育て中の女性シッターだと思い込んだ。

 ところが当日、待ち合わせ場所に現れたのは男だった。その男にも以前預けたことがあり、面識があった。「僕はちょっと預かるだけです。その後はヤマモトさんに預けます」と言った。「変だな」とは思ったが、勤務を入れていて後にはひけなかった。「ヤマモト」が、偽名を使っていた、あのベビーシッターだったとは知るよしもなかった。

 事件当時、母親は児童扶養手当を受給しておらず、子どもの父親から養育費は払われていなかった。シッター派遣会社を通すと1時間2千〜3千円する代金が、ネットなら500円という低価格もある。どこに相談に行けば良いのか思いつかず、安く預かってもらえると利用したネットの先には闇があった。

 日本で123万8千世帯に上る母子家庭の暮らしは、働いているにもかかわらず、厳しい。母子世帯のうち、収入が125万円に満たない「貧困層」の割合は、およそ半数の48.2%、先進国で最悪のレベルだ。女性が「輝く」はずの安倍政権の女性支援施策から母子家庭は取り残されているように見える。
posted by toyoharu at 11:21 | 埼玉 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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