2013年06月30日

「お主ら品ないぞ」

 今日は産経抄から以下のコラムを紹介します。
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  亡くなった元検事総長、吉永祐介さんは旧制六高から岡山大の出身である。その六高の1年生時代、こんな「事件」があった。仏語の授業でテストが行われることになったが、教師は問題を配るとすぐ教室を出ていった。カンニング公認のようなものだ。

 みんな辞書を引っぱり出したり、人の答案を見たりと、やりたい放題になった。その時、突然「お主ら、品ないぞ」と叫んだのが、吉永さんだった。旧制中学を飛び級の4年で終えたクラスで最も若い1年生だったが、その一喝で全員「真面目に」答案用紙に向かったという。

 当時の同級生の思い出である。誰も見ていないからと「不正」を犯すのは許せないという正義感、物おじしない態度と、いかにも後の吉永さんらしい。検察官となった後も妥協を排する捜査で、数々の事件を手がけ「検察の鬼」とまで恐れられた。

 1976年、東京地検特捜部副部長に就任し、主任検事としてあたったロッキード事件で田中角栄元首相を逮捕した時、マスコミは直前まで誰一人気がつかなかった。事件後あるベテラン記者が「少しぐらいにおわせてくれても」と、泣きを入れると「いくつもヒントをあげたのに」ととぼけた。単なる「鬼」ではなかった。

 自らは出世に淡々としていた。1991年に広島高検検事長に就任したが、このポストは次の大阪高検検事長で定年を迎える(実力ある捜査官だが中枢には行けない)検事のコースと見られていた。しかし、1992年、法務大臣に入閣した後藤田正晴の就任第一声が「吉永君はどこにいるのか」であった。

 その後藤田の存在と現場の「吉永コール」に応える形で、1993年に東京高検検事長に就任。さらに同年、検事総長まで上り詰めるという「強運の持ち主」でもあった。

 ロッキードやリクルートなど政治家も対象となった事件は、政治へも影響を与えた。「検察が政治を動かすのはおかしい」との批判もあった。だが吉永さんは「検察は政界を浄化する立場にない」と言い放った。

 その吉永さんは、「東京地検特捜部生みの親」と言われ、1961年に特捜部長に就任した河井信太郎さんの最後の門下生にあたる。その河井さんは「政財界事件を捜査する時は、ひたすら刑事事件として法律違反だけを追って捜査すべきだ。その政治的影響などは検事は考えるべきではない。そうでなければ検察ファッショになる」と語っていたと言う。

 帳簿捜査によって法律違反を追うという、特捜部の捜査の流れを成立させた、河井さんの略歴も変わっている。河井さんは愛知県蒲郡市出身で蒲郡農学校在学中に兄のいる東京に上京し、中央大学法学部法科夜間部に入学。高等文官試験司法科試験合格後、検事になるまでの間に海軍に応召。海軍経理学校短期現役士官(いわゆる短現組)に選ばれ、そこで経理・会計を修得したことが、のちの特捜時代に役立ったという。

 吉永さんは、政治をきれいにするのは政治家の仕事でしょ。こちらは「お主ら品ないぞ」と警告しているだけだ。そう言いたかった気がする。
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2013年06月29日

グルー駐日大使との思い出

 今日は朝日新聞から日野原重明先生のコラムを抜粋して紹介します。
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  暗殺された故ケネディ元米大統領の長女キャロライン・ケネディ氏が、ルース大使の後任として、女性初の駐日大使として着任するかも知れない、ということが今春、報道されました。ところで私は5月半ば、4年近くにわたって駐日大使を務めて来られたルース大使夫妻に招待されて、大使邸を訪れました。

 思えば1941年、日米間の戦争が勃発後、英米その他の大使らは軟禁状態に置かれました。私は彼らの健康チェックや往診のために週1回、大使館を訪れていました。交換船浅間丸は、在英米の日本外交官員をアフリカ東部のロレンソマルケス(現在のモザンビーク共和国内)まで迎えに行き、一方で在日の交戦国外交官を各国に届けていました。

 戦前の32年から駐日大使を務めていたジョセフ・グルー大使は、心臓病を患っておられたので、私は帰国時までの約1年、グルー大使の主治医を務めました。今回、ルース大使夫妻は、グルー大使と夫人に関するエピソードを私から詳しく聞きたいとおっしゃって、私を大使邸に招いて下さったのです。

 浅間丸については、こんなエピソードがありました。私はグルー大使を寝台車で横浜港に停泊中の浅間丸まで送ったのでしたが、浅間丸の船長は、アフリカに送られる外交官以外には誰も乗船していないと思い込み、グルー大使夫妻の貴賓室でのディナーの真っ最中に、ドラの予告なしに出帆してしまったのです。それに気づいた私は、船長のいる操舵室に駆け込み、停船して欲しいと頼みました。船は東京港外にまで出てやっと一時停船し、私は横浜埠頭から送られたランチの迎えを受け、深夜の横浜港に帰り着くことができたのです。

 この後日談は戦後の52年、私が米国に留学中、ワシントン郊外のグルー大使の私邸を訪れた際に、直接話して差し上げました。グルー大使は、日米の戦争の発端から終戦までの日米外交史を上下2巻の本につづり、その印税を日本からアメリカへの留学生の費用に捧げたほどの親日家でした。

 戦時中、グルー大使を往診していた際の逸話に、もう1つ忘れられないものがあります。診察後、グルー大使夫人は私に毎回コーヒーを出して下さったのですが、大きいカップに大型の角砂糖が3個も添えてありました。当時の日本では角砂糖は希少でした。私は夫人がキッチンに入っている間に2個をポケットに入れ、1個をコーヒーに入れました。帰宅後、両親と妻とで、その砂糖を大事に分け合ったのでした。

 今回の訪問で、ルース大使夫妻は、私がグルー大使との交流以来、民間人として日米間の親善に尽力し、両国の絆となる働きをしたとして、感謝状を授与して下さいました。しかも、夫人は大きなビニール袋に大型の角砂糖をいっぱい詰めて、おみやげに下さったのです。

 私も、夫妻にジョン万次郎の伝記本を差し上げました。「いつの日か、ボストン郊外にある『ホイットフィールド・ジョン万次郎友好記念館』で、日米親善のためにオバマ大統領と会談ができれば」と、夢のような話をルース大使にお伝えした後、感謝状と砂糖袋を大切に持って帰宅しました。

 感慨深い一日でした。
posted by toyoharu at 10:44 | 埼玉 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月28日

楽観は意志に属す

 今日はPRESIDENT(2011年8月15日号)から川村 隆氏のコラムを抜粋して紹介します。
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  日立は2009年、世界金融危機の直撃を受け、09年3月期決算で7873億円の最終赤字を計上した。国内製造業では過去最悪の数字だった。マスコミは連日不振企業の筆頭として報道した。当時、グループ企業の会長職として外に出ていた私に突如、次期社長就任の打診があったのはそんな最中だった。

  一晩考え、受けたのは大きく2つの理由からだ。50年近く世話になった日立が未曾有の危機に瀕している。馳せ参じなければならないという思いが先ずあった。もう1つは、グループ会社に出ていた経験が逆に生かせると考えたからだ。

 社長職とグループ全体を統括する会長職を兼務すると、私が最初に注力したのは、すべての社員の気持ちを揃えることだった。それには自分たちのアイデンティティを明確に打ち出す必要があった。

 日立の事業の基本は電力、鉄道、水事業などの社会インフラにある。そこで、ITで高度化された社会インフラの実現を「社会イノベーション」と呼び、「総合電機」から「世界有数の社会イノベーション企業」になることを新たなアイデンティティとして掲げた。

 この方向転換を具体的に示すため、ボラタイル(価格変動が大きい)な分野からは距離を置くことも明言した。一例が薄型テレビだ。テレビ事業はその後、海外工場を閉鎖し、電子機器受託製造サービス(EMS)へと切り替えていく。

 財政再建も急務なのに、なぜ、アイデンティティを重視したのか。財政再建だけでは、社員たちは日立がどこへ向かっているのかわからない。実際、若手から届くメールから、現状への失望が読み取れた。

 自分は何のために仕事をするのか。必要なのは未来の道筋を示すことだった。社内ウェブでグループの全社員36万人に向けて発信し、全世界95カ所の事業所を回り、特に若い30代の課長クラスと語り合った。こうして日立のアイデンティティを明確にすると同時に、事業の収益を改善させる手も打った。そのために、それぞれの事業責任者に「ラストマン」の意識を持たせる仕組みを導入した。

 日立本体には電力、鉄道、水、情報などの事業が並列に並ぶ。従来は「寄らば大樹」で、ある事業の収益が悪くても大きな財布の中でカバーされ、いわば“どんぶり勘定”の面があった。これを根本から変えるため、各事業部門を疑似会社化し、「○○システム社」と呼んで、独立企業のように経営に責任を持たせた。○○システム社では自分が最終意思決定者であり、ラストマンとして判断し決断しなければならない。

 「ザ・バック・ストップス・ヒア(The buck stops here.)」という言葉がある。ここでのバックは「責任」の意味で使われている。部下は上司にバックを回すことができる。しかし、トップのところでバックは完全に止まる。第二次世界大戦時の米大統領トルーマンがラストマンの重責を表した言葉だ。

 私はあるラストマンの命がけの判断と行動により、命を救われたことがあった。1999年、搭乗した国内線旅客機がハイジャックされ、刃物を持った犯人が操縦室に入り込んだ。機体は地上300メートルまで急降下。そのとき、乗り合わせていた非番のパイロットが操縦室に突入し、操縦桿を奪い返したのだ。彼は、傑出したラストマンだった。

 組織もリーダーが強いラストマン意識を持てば、必ず復活する。日立も再生に着手して2年、 構造改革の成果とともに、社会インフラ事業が新興国を中心とした需要増を背景に好調に推移し、11年3月期は20年ぶりに最高益を更新した。

 異例の人事で本体に戻ったとき、私は再生について「やればできる」と思っていた。ただの楽観ではない。リーダーは「慎重なる楽観主義者(cautious optimist)」であるべきだとの持論からだ。一見矛盾した言い方は「幸福論」で有名なフランスの哲学者アランの「楽観は意志に属す」という言葉に由来する。

 未来の道筋を示し、みんなを引っ張っていくにはリーダーは強い意志を持たなければならない。苦しい時ほど、楽観は意志に属す。困難に直面する今の日本に求められているのも、リーダーの強い意志と明確な意思決定ではないだろうか。
posted by toyoharu at 23:22 | 埼玉 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月27日

本当に日本のために働いてくれる優秀な人を政治家に

 今日はJBpressからドイツ在住の川口 マーン 惠美さんのコラムを抜粋して紹介します。
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 先日、ぼんやりとネットのニュースを見ていたら、「アントニオ猪木氏が参院選に出馬」という見出しが飛び込んできてビックリ。読んでみると、それを石原都知事が心強いことだと大歓迎しているという。なんだか眩暈で椅子から落ちそうになった。

 先ず考えたのは、日本の有権者も、石原都知事と同じように「アントニオ猪木が出るなら、維新の会を応援しよう」と思う人がいるのだろうか?

 政治家は、国民の税金を使って、日本国を運営する。しかも、それは膨大な額のお金だ。 外交、財務、エネルギー問題、そこで失策があれば、その膨大な税金が失われるだけでなく、国が発展しない。あるいは、弱小化する。

 だから政治家は、その重要な任務を遂行する能力のある、とびきり優秀な人でないと困る。政治についての知識を十分に持ち、さらに、それを実行に移す実力を兼ね備えた人でなければならない。

 幸いなことに、政治家を選ぶ権利は、私たち国民に預けられている。だから、私たちはその権利を十二分に利用し、気合を入れて、政治のプロを選ぶべきなのである。それなのに、その貴重なチャンスをかなぐり捨てて、政治の知識など全くなさそうな素人候補者をわざわざ選ぶ人がいるというのが、私には理解できない。

 タレントや落語家やプロレスラーや柔道の選手が、それぞれの道で立派に活躍していたとしても、まさか政治のプロであるはずがない。

 やる気だけでなれるのは、それが上手く行使できなくても、公衆にたいした被害のない職業だ。だから、小沢一郎氏が参院選に柔道の選手を担ぎ出した時には、その無責任さに腹が立ったが、選挙結果を見ると、有権者も同じく無責任だった。政治の素人を当選させるような国民は、せっかくの国民主権をどぶに捨てているようなものだ。これでは、民主主義が浮かばれない。

 一方、ドイツである。サービスがなく、電車がいつも遅れているこの国で、注目に値するのは政治家だ。ドイツは経済だけではなく、政治大国でもある。

 ドイツの政治家は優秀だ。国益などと声高に強調することなしに、しかし、国益を決して忘れてはいない。彼らが優秀な理由は簡単だ。たいていは各政党の青年部出身で、若い頃から政治の第2軍と言える舞台で鍛えられ、伸し上がってくる。

 ドイツは、立派なことばかりしている訳ではない。しかし、イメージ作りはことの他、上手だ。例えば、日本では、ドイツの原発はすべて止まり、自然エネルギーで頑張っていると思い込んでいる人が多いが、半分以上はまだ動いている。

 第2次世界大戦の戦争犯罪に対しても、賠償はすべて拒否しているが、世界はそんなことはつゆ知らず。世界平和を説きつつ、アメリカ、ロシアに次ぐ世界第3の武器の輸出国でもある。

 イギリスのBBC放送恒例の国別好感度の世論調査の結果によると、2013年の1位はドイツである。これら様々なよいイメージ作りは、まさに政治家の実力であると私は思っている。

 日本も、優秀な政治家を選ばなければ、太刀打ちできないのは、自明の理だ。だから、今度の選挙では、知名度のあるタレントやスポーツ選手を候補者として目の前に投げられても、そんな餌に食いついてはいけない。有権者の意識が変わっていることを、餌を投げた政治家に示してやろうではないか。
posted by toyoharu at 22:36 | 埼玉 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月26日

ねじれはもうこりごりだ

 今日は日経から以下の記事を紹介します。
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 26日閉幕した通常国会は、参院で野党が多数を占める「ねじれ国会」の影響で最後まで迷走した。民主党は電気事業法改正案を含む重要法案の成立を目指しながら、都議選惨敗を受けて参院側が野党共闘の優先に急旋回した。その結果、安倍晋三首相への問責決議は可決。自民党の強硬路線も、重要法案が廃案に追い込まれる隙をつくった。

 26日午前9時、民主党の海江田代表、細野幹事長が国会内の参院役員室に入った。待ち構えていたのは隣に自室がある輿石参院議員会長と、池口参院国会対策委員長。同じ野党の生活の党などが提出した首相問責決議案の扱いを協議する参院議院運営委員会理事会は30分後に迫っていた。

 細野氏、高木国対委員長ら衆院幹部は電気事業法改正案の今国会成立に協力し、参院選に向けて「抵抗野党」のイメージを払拭し改革姿勢を強調したかった。だが、輿石氏らは問責採決に踏み切るよう主張。細野氏も折れた。この後の参院議運委で首相問責決議案の本会議採決が決まり、可決が確定した。

 風向きが変わり始めたのは21日だった。与党が平田参院議長(民主党出身)の不信任決議案を提出し、24日まで採決日程を巡る混乱が続いた。参院民主党では「自民党が法案処理の遅れの責任を強引に民主党に押し付けようとしている」と不信感が強まった。

 それでも海江田、細野両氏は24日に電気事業法改正案などの処理を円滑にしたかった。内閣不信任決議案と首相問責決議案の提出見送りを決定。輿石氏は「法案なんか他党から問責が出てきたら終わりだ。自民党はそれを使ってつぶしにかかってくる」と言い放った。

 23日の都議選で自民党が圧勝。参院選を控えて他の野党は対決姿勢を一気に強めた。25日の野党幹事長・書記局長会談では、法案処理にこだわる細野氏に方針転換を迫る声が続出した。かねて輿石氏と気脈を通じる小沢一郎氏率いる生活の党などが問責提出に傾き、夜には提出してしまった。

 参院選の野党共闘を考慮すれば問責の採決先送りや反対は選びにくい。細野氏らはなお、26日の本会議で重要法案を成立させた後に問責を採決する方法を探ったという。しかし自民党は「首相問責決議案はあらゆることに優先して処理するのが慣例だ」(脇参院国対委員長)と拒否した。

 自民党も国会慣例を盾に法案成立へ柔軟な姿勢を欠いた面は否めない。ねじれ国会で最終日まで続いた泥仕合。自民党の岩城参院議運委員長はこぼした。「ねじれはもうこりごりだ。なんとしても参院選に圧勝しなければいけない」
posted by toyoharu at 23:15 | 埼玉 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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